大切な、大切な友人の死

埼玉で一番慕ってくれていた友人が亡くなった。
2年前にはガンに侵され克服して退院し、一時は元気とは
言えないけど普通に生活出来るようになっていたのに・・・


思い出してみると出会ったのは俺が大学3年生の夏。2002年夏。
教職課程も他の単位も落とすことなく(奇跡的とも言う)
夏を迎え、ここまで勉強ばかりしていたので
バイトでもしようと近所にオープンするファミレスへ
面接を受けに行ったことから出会いが始まる。


そこのバイト先の当時最初に居た店長にこき使われ
3ヶ月はずっと洗うの専門でケツメイシを教えてくれた
まっちゃんと友人のタッキと半ばヤケクソで頑張った。
今思うとまっちゃんとタッキと社員の遠藤さんが居なかったら
すぐに辞めていただろうな。よく4人で遊びに行ったっけ。


店長が変わってハタボー(畠山なので)になり、色々
教えてもらう。厨房全般を任せてくれて時にオーダー取りも
言ったしこのときが一番楽しかった。


この時からタッキは髪が無く、抗がん剤の影響なんだと
話していたのを思い出すとこの頃から白血病の進行が
あったようにも思える。詳しいことは当時聞いていないけど
聞いても明るく受け流す性格だったから言ってくれたかは
分からない。


一番の思い出は入って1年後に結成したバンドのライブに
呼ばれたこと。この出会いが無ければ毎年1月2日にやってる
飲み会に参加して無かったと思う。まさかの昭和56年組結成。
同い年だけで20人は軽く居たと思う。多すぎて覚えていない。
ムネやテラやだいちゃん、まさき、ひろ・・・
今思うと奇跡だと思う。これだけの人と知り合えるって。


懐かしいな。


あの頃、純粋に生きていた日々を思い返すと、幸せになれる。
なんのしがらみもなく、ただ平凡に、毎日飲んで歌って騒いで
仲間という素晴らしいものを築いていったのだと・・・


タッキ。
いつも病魔に襲われ辛かっただろうに。
絶対タッキの方が辛いのにねもっちゃんは元気か?
仕事辛くないか?いじめられてないか?(余計なお世話)
とかタッキの方が絶対辛かったって。


お母さんやお父さんに話を聞いたら中学生の頃から
病気がちで学年1つ下で中学卒業したんじゃないか。
平凡だけど健康に生きてきた俺と比べたら波乱すぎる。
少しの時間でいいから代わってあげたかった。


今は天国で元気に暮らしてますか?
タッキが亡くなったってのはお葬式に出てもタッキの顔が
キレイ過ぎて、よう!ねもっちゃんとか言って元気に
出てきそうで・・・信じられません。


もっと話したいことがいっぱいあったよ。
もっと相談したいこともあったよ。
彼女さんと結婚するタッキを見たかったよ。


でも、もういないんだね。
2003年、2004年、・・・2011年と1月2日にやっていた新年会は
タッキが不在になるけど続けるよ。続けないとタッキが
飲んだらいいじゃーんって呼びにくるだろうし。
フランス旅行して行けなかった年以外は一応皆勤だかんね。
埼玉と茨城は距離にしたら少し遠いけどそんなの関係ない。
いつまでもつながっているから。


友達を大事にしたタッキの精神をうちらが受け継いで
後世に残していくからね。


疲れたよね、ゆっくり休んでね。
また一緒にお酒をのもう!